中央線が遅延している間に、中央線の面白歴史を学んでみよう!

中央線遠景

JR中央線の遅延はもはや日常茶飯事となっていますが、遅延に巻き込まれてしまったらジタバタせず、この際ですから、中央線の面白歴史を学んでみてはいかがでしょうか?

 

東京のど真ん中を走る中央線。
都内でも人気の鉄道線で、沿線にはタウンウォークを楽しめるエリアと人気のベッドタウンが混在しています。

国立、三鷹、吉祥寺、荻窪などがあり、億ションがゴロゴロしています。

 

荻窪のごちゃごちゃした住宅街には高級外車ばかりが並んでいます。

 

最近では立川、国分寺あたりが売り出し中ですね。

 

中央線沿線が人気である理由は

都心に近くて自然がいっぱい

ということではないかと思っています。

JR中央線は東京のど真ん中を長々と一直線にひた走る

地図上では東中野〜立川間はまったくの一直線に見えます。

 

この間の直線距離は24.7kmで、日本の鉄道の直線距離ランキングの堂々3位にランクインしています。

 

1位、2位と比較してみましょう。

日本国内鉄道直線距離ランキング

1位:白老~沼ノ端間 28.7km
2位:光珠内〜滝川間 25.0km
3位:東中野〜立川間 24.7km

 

1位、2位はどちらもJR北海道です。

 

土地に余裕のある北海道ですから線路が一直線に長くなるのは頷けます。

しかし3位が東京のど真ん中をはしるJR中央線というのはちょっとした驚きですね。

 

しかも、距離的に上位とそれほど大差はありません。

 

過密都市東京で、なんでこんなまっすぐな線路が引けたのか不思議に思うことはありませんか?

 

そこには面白い東京の歴史が隠されているのです。

そしてその歴史を探ると、中央線沿線が独特の発展を遂げて来た理由も見えて来ます。

今回はそのあたりの事情をお話ししていきます。

結局のところ、地形が歴史を作ってきた

武蔵野台地 中央線込み

(ランドサット衛星写真をベースに追記)

 

水色:河川
黄色:上水
緑色:崖線
赤色:中央線直線部

中央線がこんなに長い直線になった謎を解く鍵は、この辺りの地形にあります。

 

その地形とは、関東平野の西側に広がる武蔵野台地のことです。

上の写真を見てください。
ちょっと色が濃くなっている部分が武蔵野台地です。

北の荒川と南の多摩川に挟まれた広大な地域で、JR中央線の話が展開するのは武蔵野台地のほぼ中央部にあります。

この辺りは歴史的に見て非常に重要な、そして面白い地域なんですね。

 

武蔵野台地の南橋には国分寺崖線、立川崖線と呼ばれる崖(急な段差)があって、高台と低地の境目になっています。

 

高台側の土地は水はけがよく、言ってみれば乾燥して潤いのない地域でした。
人が好んで住むようなところではなかったのです。

逆に、低地側(立川崖線、国分寺崖線の南側)はこれら崖線から溢れ出る水に潤され、肥沃な土地が広がり、古代から人が集まっていました。

人は潤いのある土地に住みたがる

真姿の池水道や鉄道などのインフラが整っていない時代にあっては、人はどうしたって水利が良いところに住みたがります。

ですから崖線の南の低地が人気があり、古くから多くの人が住んでいました。

 

武蔵国の国庁はこの低地におかれました。
今の府中市にあたります。

 

この辺りのことが歴史に登場するのは日本の奈良時代で、武蔵国分寺、国分尼寺はこの頃に創建されたものなんですね。

その後江戸時代に入って、甲州街道などもでき、人の往来がさらに増え、住人の数も増大していったことでしょう。

 

一方、崖線の北側はどのような様子だったのでしょうか?

小平市は崖線の北側に位置する街ですが、その小平市で昭和49年に鈴木遺跡という旧石器時代の遺跡が発掘されました。

大昔から人が住んではいたものの痕跡は遺跡くらいのもので、歴史に登場するのは実は江戸時代以降なのです。

 

 

江戸期初めの1603年に甲州街道のバイパス街道のような形で、武蔵野台地のうえに青梅街道が整備されました。

青梅街道がひかれた後、さらに上水が整備されて、新田開発などの苦労の末、少しずつ人が住みやすい場所が徐々に増えていきました。
とはいえ、交通の便、水の便が行き届かないところは多く、低地側の地域とは比べものにならない状況が続いたものと考えられます。

結局、中央線はどこに開通したのか?

中央線経路

日本の鉄道開業という輝かしいイベントから17年後の1889年、甲武鉄道として中央線の歴史が始まりました。

 

もともと中央線は崖の下の人がたくさん住んでいる地域を走る予定でいました。
具体的には甲州街道沿いです。

鉄道の役割が人と生活物資などを運ぶことにあった訳ですから当然の選択と言えるでしょうね。

 

しかし今では到底考えられないようなことが起こります。

住民の猛反対です。

 

当時の列車といえば煙もくもくの蒸気機関車です。

その黒煙による農作物への被害を嫌がった住民が反対したのです。

それ以外の反対理由としては、栄えるのは駅周辺ばかりで、駅から離れた場所はかえって人が減ってしまう、というものもあったようです。

 

結局、用地買収は全く思うように進まず、業を煮やした甲武鉄道は甲州街道沿いを諦めました。

そして選んだ新たな敷設場所が、台地の上だったのです。

 

台地の上であれば反対する人もほとんどいなかったのでしょう。

あまり人が住んでいなかったのですから。

 

あれだけの距離をまっすぐに用地買収できたのはまさにそのためです。

イライラの募っていた甲武鉄道の関係者は、気持ち良く地図上に一直線を引いたことでしょう。

中央線沿線は国策と共に栄えてきた

中央線沿線には、大昔からあった武蔵野の森と、江戸時代に人工的に引かれた上水沿いに豊富な自然があります。

またこの沿線の発展において見逃せないのは国策との絡みです。

 

明治以降の日本は変化と発展の歴史を繰り広げていきました。

 

富国強兵、いくつかの戦争、戦勝、決定的な敗戦、戦後復興という大転換期に中央線は大きな影響を受けてきました。

 

戦前、国は沿線に広がる広大な土地に多くの軍事施設を作っていきました。

多摩地区の軍事施設

1 陸軍多摩飛行場
陸軍航空整備学校
航空審査部
多摩航空機製作所
(現米軍横田基地)
2 昭和飛行機工場
3 日野重工業(株)
戦車製造
(現日野自動車工業)
4 六桜社・日野分工場
航空写真フィルム工場
(現コニカミノルタ)
5 富士重機豊田工場
特殊兵器製造
(現富士重機)
6 陸軍航空工廠
7 陸軍整備学校
(現村山病院近辺)
8 東京陸軍少年飛行学校
特攻隊少年飛行兵多くは、ここで訓練をうけた。
9 陸軍立川飛行場
・陸軍航空技術研究所
・陸軍航空工廠立川支廠
・陸軍航空技術学校
・立川飛行機株式会社
今、昭和記念公園、陸上自衛隊駐地
10 日立航空機工場
陸軍の飛行機のエンジンをつくっていた。ゼロ戦のエンジンも。
(現イトーヨーカドー東大和店)
11 陸軍資材本廠
(現陸上自衛隊・航空自衛隊駐とん地)
12 鉄道調査所分所
(現鉄道総合技術研究所)
13 東部国民勤労訓練所
(現職業訓練大学校あたり)
14 陸軍兵器補給廠小平分廠
(現ブリジストンタイヤ東京工場)
傷痍軍人療養所
(現国立精神・神経センター)
15 陸軍経理学校
(現陸上自衛隊駐とん地・建設大学校・警察学校・小平団地・シルバー精工・小平九小があるあたり)
16 日立中央研究所
科学技術の研究
(現日立製作所、中央研究所があるところ)
17 日本製鋼所武蔵製作所
東芝車輌製作所
(現日本製鋼所、東芝府中工場があるところ)
18 陸軍燃料廠
(現航空自衛隊の駐とん地)
19 陸軍技術研究所
兵器研究・開発。
(現東京学芸大学・東京サレジオ学園があるところ)
電波物理研究所
(現郵政省電波研究所)
20 参謀本部特殊無線通信所
(現通信住宅があるあたり)
21 中島飛行機工場
(現ひばりが丘団地のあたり)
22 中島航空金属
(現住友重機械工場があるところ)
23 豊和重工業工場
(現株式会社IHIがあるところ)
24 朝比奈鉄工
(現朝比奈機械があるところ)
25中島飛行機武蔵製作所
当時、飛行機をつくる工場の中でも日本一、二をあらそう規模だった。
(現武蔵野むさしの市役所や市営グランドがあるあたり)
26 帝国ミシン
小銃をつくっていた。
(現蛇の目めミシンのところ)
27 中島飛行機三鷹工場および研究所
(現国際基督教大学・富士重工業があるところ)
28 調布飛行場
29 正田飛行機・三鷹航空・日本無線
(現日産自動車・日本無線があるところ)
30 航空研究所
鉄道運輸研究所
(現船舶技術研究所・航空宇宙技術研究所があるところ)
31 東京重機工業株式会社
おもに小銃をつくっていた。
(現ジューキがあるところ)
32 国際電信研究所
(現NTT中央電通学園があるところ)

(出典 小平市立図書館ホームページ)

戦後、これらの軍事施設は自衛隊の施設、飛行場、米軍基地、企業などとして形跡を留めることになります。

中央線沿線に老舗大企業が多いのはこのような経緯があったのですね。

 

結局のところ、中央線が武蔵野台地の上の人口の少ない閑散としたところに開通したことで、東京を重層的で面白い都市にしてくれているのだと思います。

中央線案内

そう、中央線沿線はタウンウォークするには最高に面白い場所なんです。

台地の上と下の街コントラストが面白い

お話ししてきましたように、武蔵野台地の上と下では地理的な違いだけではなく、それ以上に歴史的な違いがあって両方とも本当に興味深く楽しめるんです。

歴史的にはザックリ1000年の差があります。これはやはり相当に大きい。

 

台地の下は土地柄も人々の生活もどこかオットリと安定していて、台地の上は中央線が出来てからの急激な開発期を乗り越え、今でもサバイバル的な雰囲気が濃厚に残っているように感じます。

中央線車両案内

台地の下の京王線沿線、台地の上のJR中央線沿線に、それぞれの雰囲気が色濃く出ていると思うんです。

まったく面白い街です、東京は。

 

普段、中央線をお使いのあなた、時間があるようでしたら中央線の歴史に思いを馳せながら沿線をぶらぶらしてみることをオススメします。

新しい発見があることと思います。

 

こちらもどうぞ。

中央線沿線再開発ストーリー

 この記事へのコメント

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