HINOMARUで謳われた日本人の姿を靖國神社で感じてみよう!

靖國神社1

暑い夏が近づくと日本がかつて戦争をしていたことを思い出します。

日本にとっての先の戦争といえば、大東亜戦争と太平洋戦争のことですね。

これら大東亜戦争、太平洋戦争が終わったのは、ほんの70数年前です。

 

私は戦後生まれということもあって、これらの戦争の実態をあまり知ってはいません。

私の周りにはまだ戦争体験者が残っているにもかかわらず、尋ねることもなく、多くを語られることもない戦争。

私の親は戦中生まれですが、戦争などするものではないとすぐに口をつぐんでしまいます。

考えてみれば不思議ではないですか?

何故なのでしょうか?

 

しかしその一方で、若者たちが愛国心や戦争というものに結構ナチュラルな感覚を持ち始めていることに驚かされます。

 

RADWIMPSのHINOMARUという歌が話題になりました。

『軍歌』だという批判の声と、愛国心と愛国を歌うことに何の問題も無いとこの歌を擁護する声がネット上で上がっています。

 

 

HINOMARU 歌詞

歌: RADWIMPS
作詞:Yojiro Noda
作曲:Yojiro Noda

 

風にたなびくあの旗に 古よりはためく旗に

意味もなく懐かしくなり こみ上げるこの気持ちはなに

 

胸に手を当て見上げれば 高鳴る血潮、誇り高く

この身体に流れ行くは 気高きこの御国の御霊

 

さぁいざゆかん 日出づる国の御名の下に

どれだけ強き風吹けど 遥か高き波がくれど

僕らの燃ゆる御霊は 挫けなどしない

 

胸に優しき母の声 背中に強き父の教え

受け継がれし歴史の手に 恐れるものがあるだろうか

 

ひと時とて忘れやしない 帰るべきあなたのことを

たとえこの身が滅ぶとて 幾幾千代に さぁ咲き誇れ

 

さぁいざゆかん 守るべきものが 今はある

どれだけ強き風吹けど 遥か高き波がくれど

僕らの沸る決意は 揺らぎなどしない

 

どれだけ強き風吹けど 遥か高き波がくれど

僕らの燃ゆる御霊は 挫けなどしない

僕らの沸る決意は 揺らぎなどしない

この歌は大震災などで日本人が人々を救出する姿と心を歌ったものだといRADWIMPSのコメントがあるようですが、これは恐らくは戦争を想定していないという批判をかわすためのコメントであろうと思います。

 

しかし私が思うに、この歌の歌詞が戦争を想定したものであるとしても何の問題もありません。

 

日本や日本人、自分の家族が危機に見舞われた時に、愛するものを守るため敵に立ち向かうのはごく自然なことです。

 

こんなことを書くと戦争を容認するのかなどという批判を受けそうですが、世界は経済力と軍事力のバランスで動いており、経済力と軍事力の弱い他国を侵略することが国益であると考えて行動する国がいまだに存在することを認識しておく必要があります。

そんな世界にあって、日本が侵略されれば断固として立ち向かうという気持ちを表明することはごく普通であり、必要なことなのです。

 

こんなごく普通の感覚を否定して糾弾する勢力があることも知っておきましょう。

日本、日本人、家族を守るために死んでいった人々を祀る場所、靖國神社

靖國神社6靖國神社は幕末以降に日本のために死んでいった人々を祀る場所です。

私は是非多くの人にこの靖國神社に行ってほしいと願っています。

 

多くの人は靖国神社には、いわゆる戦争犯罪人が祀られており、この場所は戦争を美化し、賛美するような良からぬところであると思っている人は多いのではないでしょうか?

 

しかしそれは違います。

とんでもない間違いです。

 

間違いでありますが、愛国心にやましさを感じているような人に靖國の真実を語って間違いを指摘したところで拒否反応を示されるだけであり、労を尽くす意味は無いと思っていました。

しかしHINOMARUと言う歌が話題になり、世間の反応(賛否両論)を見て、これはむしろ靖国神社に関する自分なりの意見を述べておくべきなのではないかと感じています。

多くの日本人は靖國神社を誤解している

靖國神社7愛国心=軍国主義=戦争

といった実に変てこりんな理屈を刷り込まれて育ってきた人は、間違いなく靖國神社に良からぬ印象を持っています。

 

この誤解を解いて、是非多くの日本人に靖國神社の英霊にお参りをしていただきたいと思っています。

そのためには、愛国心は戦争につながる的な嘘の刷り込みに気付いて、幕末期から大東亜戦争、太平洋戦争までの世界の情勢、日本は何を達成しようとしていたのかという『事実』をしっかりと仕入れて、自分の頭で先の戦争の意味について考えておくべきです。

価値観、正義観は時代により、国により異なる

靖國神社3私は先の戦争を考えるにあたって、日本の戦国時代のことを連想してみることは有益です。

 

江戸よりも前の時代、日本は戦乱の時代でした。

この時代にあっては、自分の家の繁栄、存続のために他国を侵略するなどは当然のことであり、正義でした。

他国を騙し、平民をも殺すなどは、今の価値観で考えれば到底許されることではありません。

 

しかし現代の人々は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康を犯罪者扱いすることはありません。

それは信長などの歴史上の人物は、その時代の価値観で行動せざるを得なかったのだと知っているからです。

 

同様に靖國神社に祀られている英霊たちが生きた時代がどんな時代だったのか知っておくことは、先の戦争の実態を知る上でとても重要です。

 

これを説明するのは結構大変なのですが、ポイントは世界は植民地時代であったということなのです。

植民地時代では侵略戦争は『正義』だった

現在の価値観や倫理観で侵略戦争は正しいと言う人はごく少数派でしょう。

 

しかし植民地時代にあっては、軍事力に勝る国が弱小国家を支配して搾取することはある意味では権利であると考えられていました。

 

日露戦争の仲介役をしたアメリカ26代大統領セオドア・ルーズベルトの言葉を紹介しましよう。

彼は国家についての格言で以下のように述べています。

『権利のために進んで戦いを挑むことは、世界中の人々が行うことのできる最も崇高なスポーツである。』

第26代アメリカ大統領 セオドア・ルーズベルト

ここでいう戦いとは、Agressive Warすなわち侵略戦争を指します。

 

侵略戦争が崇高なスポーツと言い放つ、しかしそれが当時の世界の常識であり、侵略戦争は正義だったのです。

この感覚がまさに植民地時代に侵略者が持っていたメンタリティーであり、貪るが如く世界中に触手を伸ばす原動力でした。

 

ちなみにセオドア・ルーズベルトは日露戦争を仲介した功労者としてノーベル平和賞を受賞しています。

日本への侵略は戦国の頃から始まっていた

日本の戦国時代と同じような弱肉強食の戦いは世界中で行われていましたが、多くは地続きのローカルな争いでした。

 

ところが16世紀に始まる大航海以降、西洋列強は海を越え、世界中で食うか食われるかの戦いを行いました。

武器や船の技術に勝る西洋列強は弱小のアジアの国々を侵略し、植民地支配していきました。

 

日本への侵攻は戦国時代から始まっていました。

フランシスコ・ザビエルらによるキリスト教伝来は植民地支配の端緒を開こうとする動きの一つでありました。

キリスト教伝来の陰では日本人を海外に売り飛ばすような人身売買が行われていたと伝えられています。

豊臣秀吉がキリスト教徒を弾圧する理由の一つがここにあったと言われています。

 

その後日本は徳川幕府の鎖国政策により、海外との交流を必要最小限に留めて侵略を防いできましたが、アメリカ合衆国のペリー来航(1853年)でついに国を開かざるを得なくなったわけです。

日本は大東亜共栄圏という西洋の侵略に対抗する防波堤を築こうとした

靖國神社5幕末の尊皇攘夷の動きは、西洋列強の侵略に抗うための一つの社会運動でした。

 

さらに明治政府は富国強兵を推し進め、狩を楽しむように侵略にいそしむ列強に対抗しようとしたのです。

 

アジア、アフリカの各国は次々と西洋列強の植民地にされていきました。

中国は国土が広いため数カ国による分割統治がなされていました。

 

朝鮮半島にはロシアが進出してきており、そこでの日本の抵抗運動が日清戦争、日露戦争を引き起こし、ついには日韓併合に至りました。

日韓併合が無ければ朝鮮半島はロシア領土になり、日本列島はまさに植民地化の危機に立たされていたことと考えられます。

 

アジアは陣地が徐々に侵食されるように植民地化されていきましたから、そんな中で日本が孤軍奮闘するような戦いを続けても勝ち目はないと考えるようになりました。

そこで出されたアイデアが大東亜共栄圏というものでした。

大東亜共栄圏

「日本を盟主とする東アジアの広域ブロック化の構想とそれに含まれる地域」を指す。

第2次近衛文麿内閣の発足時の「基本国策要綱」(1940年7月26日)に「大東亜新秩序」の建設として掲げられ、国内の「新体制」確立と並ぶ基本方針とされた。

これはドイツ国の「生存圏(Lebensraum)」理論の影響を受けており、「共栄圏」の用語は外相松岡洋右に由来する。

日本が指導者として欧米勢力をアジアから排斥し、日本・中華民国・満州を中軸とし、フランス領インドシナ(仏印)、タイ王国、イギリス領マラヤ、英領北ボルネオ、オランダ領東インド(蘭印)、イギリス統治下のビルマ、オーストラリア、ニュージーランド、イギリス領インド帝国を含む広域の政治的・経済的な共存共栄を図る政策だった。

(出典:ウィキペディア)

当時、近代化に成功して、植民地化されていなかったのは日本だけで、多くの国はすでに植民地化されていましたので、大東亜共栄圏構想では日本が盟主にならざるを得ない状況でした。

 

この大東亜共栄圏を実現するための戦いが、大東亜戦争でした。

 

日本はアジア諸国と戦ったわけではありません。

アジア諸国を解放するために植民地支配していた支配者と戦ったのです。

 

この事実は非常に重要であるにも関わらず、知らない日本人が多いことは本当に残念です。

 

話がややこしいのは中国、韓国の当時の動きです。

かの国では共産化の勢力があり、その勢力が反日運動を展開していました。

彼らにしてみれば大東亜共栄圏などとんでもなく邪魔な存在なわけです。

 

日本が西洋列強に敗戦して結果的に反日運動家が間接的に勝利したような形になり、その反日勢力が中国、朝鮮を支配するに至り、現在でも反日活動が延々と続いているわけです。

 

日本は敗戦しましたが、日本とともに植民地支配者(宗主国)と戦った国々は次々と独立を果たしました。

中韓以外のこれらの国々はいまでも親日国です。

東京裁判は茶番劇

終戦後、勝利した西洋列強は自分たちに唯一立ち向かった日本をどうしても罪人として裁きたかったのです。

 

そもそもさんざん侵略戦争を繰り返し、世界を食い物にしてきた西洋列強に、侵略されまいとして戦ってきた日本を裁くことなど本来できるわけがありません。

 

当時、日本を裁くことのできる国際法はありませんでした。

 

そこで戦勝国は、ドイツや日本を裁くための法律を後付けで作ったのです。

それがなんと『侵略戦争は戦争犯罪である』というものです。

 

彼らは、日本がアジア各国の解放のために立ち上がった動きを逆に侵略戦争に仕立て上げ、日本は戦争犯罪を犯したと決めつけたわけです。

 

何世紀にも渡り、紛れもなく侵略戦争を繰り返してきたのは西洋列強です。

侵略戦争が犯罪だと言うならば、イギリス、フランス、アメリカ、ロシアこそがまずは大罪人であると言わざるを得ません。

靖國神社の英霊は日本を西洋列強から守った誇り高い日本人たち

靖國神社4アメリカ合衆国が日本を開国させた幕末期から、日本を守るために多くの日本人が命を投げ打って戦ってきました。

その英霊が靖國神社に祀られています。

 

吉田松陰などの幕末の志士、特攻で散っていった若者たち、従軍看護婦、東京裁判でA級戦犯とされた人たちなどが英霊とされています。

靖國神社2

靖國神社の敷地内に遊就館があります。

遊就館には幕末以降の西洋の侵略に対する血みどろの戦いの足跡が展示されています。

遊就館

(出典:遊就館ホームページ)

 

その中に特攻で散っていった若者たちの遺影と遺書が展示されているコーナーがあります。

それらのおびただしい数の遺影と遺書は、今を生きる私たち日本人を見つめていると思えてなりません。

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