日本の宇宙開発発祥の地、国分寺市。糸川英夫博士とロケットマンホール

ロケットマンホール8

多摩地区、特にJR中央線沿いには日本の軍事施設が集中的に作られていたことはお話ししました。

 

戦後、それらの施設や会社は自動車、カメラ、機械加工、飛行場、米軍基地、自衛隊施設などとして日本を支える活動をしてきました。

そんな中でも国分寺市にある新中央工業跡地(現早稲田実業学校)では、戦後日本のロケット開発の基盤となるような発射実験が繰り返し行われていました。

その実験を取り仕切っていたのが糸川英夫博士なんですね。

糸川英夫

(出典:糸川英夫 生誕100年記念サイト)

糸川英夫の戦前、戦中、戦後の活動の場はほとんど中央線沿いだった

糸川英夫は東京帝国大学の航空学科を卒業後、現武蔵野市の中島飛行機に就職します。
彼はそこで日本の戦闘機『隼』や『鐘馗』を開発するんですね。

 

そして戦後はロケット開発に尽力するわけです。

ロケット開発の予算がほとんど無いため、超小型のペンシルロケット(長さ23cm、 直径1.8cm、重さ約200g)を作るしかありませんでした。

そのペンシルロケットを使って繰り返し発射実験をし、基礎データを収集してきました。

 

当初は荻窪の富士精密の地下壕で発射実験を行いましたが、発射の際の振動が凄まじく、精密加工に支障をきたすということで、場所を国分寺の新中央工業跡地に移し、そこで初期のペンシルロケットの実験のほとんどは行われたようです。(1955年4月)

実験場は中央線からほど近いところにあります。
当時の実験設備は不完全で、安全のため電車が通るたびに実験は中止されていたようです。

ペンシルロケット発射実験成功60周年を記念したロケットマンホール

厳密には一発目の発射実験は荻窪であったように思いますが、あんまり細かいことを言ってもしょうがないのですね。

初期型ペンシルロケットによる実験のほとんどは国分寺で行われたのは事実ですので国分寺市の取り組みを祝いたいと思います。(笑)

ロケットマンホール1

駅前再開発の場所に『ロケット発射実験成功60周年』の案内板が立てられ、そこから早稲田実業学校までの歩道上のマンホールの蓋にロケットの絵が描かれています。

 

そして早稲田実業学校の入り口には『日本の宇宙開発発祥の地』の碑石があります。

日本の宇宙開発発祥の地

国分寺駅から早稲田事業高校までの道のりには微妙な段差があります。
実に国分寺らしい妙な道です。

この辺りは国分寺崖線が近く、その影響が出た地形なのだと思います。

この地形のおかげで中央線ができ、中央線のおかげで軍事施設がたくさん作られ、それら軍事施設の跡地を使ってロケットが開発されたわけです。

そんなことを思いながらこの道を歩くのはちょっと感慨深いところがあります。

 

ロケットマンホールは全部で12個あります。

ちょっと洒落たデザインです。そのうちの一枚をご紹介します。

ロケットマンホール13

(国分寺市のロケットマンホールに描かれたペンシルロケット)

 

日本の第一号ロケット、ペンシルロケットですね。

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